AFRICA JEANS PROJECT

僕たちが実現したい夢。

それは

アフリカに友達を作り、アフリカに興味を持つ人を増やすこと。

 

それも

世界最高にカッコいいダメージジーンズで。

 

これがこのプロジェクトの全てです。

 

このプロジェクトは岡山県の片田舎で産まれ共に育った二人で行っています!

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二人の関係

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お互いの実家が150mの所にあったこともあり、4歳で出会いました。

小中高と同じ学校に通い、毎日の登下校は常に一緒。毎日毎日しょーもない話をしながら  歩いた日々を思い出します。大学進学と同時に別々の場所に移りましたが、改めて現在お互いの問題意識が近いことに気づき、このプロジェクトの企画、実現に向けて協力することに。

 

AFRICA JEANS PROJECT

製品・サービスの内容

「購入後、アフリカで育てることのできる本物のダメージジーンズ」

世界最高品質と評価されるジャパンメイドのジーンズを、アフリカに住む人々に提供し、半年間着用してもらう。その間にできた履きジワや色落ちによる「リアル」なダメージジーンズを制作・販売します。。

また、本プロジェクトでは単なる物としてのジーンズ販売に止まらず、現地で暮らす人々の生活の様子をムービーによって発信。それによりジーンズ1着1着に対するストーリーを購入してくださったお客様にご提供いたします。アフリカのリアルな生活感を感じていただきたいというのが僕たちの願いです。

さらに、現地でジーンズを着用していた人と購入してくださったお客様ご自身とがオンライン上で直接交流できるというのが本プロジェクトの特徴と言えます。

遠く離れたアフリカの土地にジーンズを通して「友達」ができる。お客様がいつかその「友達」に直接会いにアフリカまで来てくださる日を楽しみにしています。その時は我々が全力でサポートいたしますのでご安心ください。

遠く1万キロ離れた土地にジーンズを通した友達ができる。

そしてお互いがお互いの国に興味を持ち行き来するようになる。

僕たちはそんな世界を全力で作り上げていきたいと考えています。

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人生に夢を与えてくれたアフリカ

なぜ僕たちがこのプロジェクトを行うのか。

それは僕のケニアでの滞在経験がきっかけになっています。

 

◾︎プロフィールにも書いた通り、高校卒業と同時に野球を引退した僕は、大学入学後しばらくしてうつ病の症状を発症。毎日眠れない日が続き、ひどいときには爆発音が聞こえる程でした。深夜の河川敷と古着屋だけが僕の居場所で学校にもろくすっぽ行かず、堕落した生活を送る毎日。偶然YouTubeで見たカバの動画に圧倒され、導かれるようにしてケニアのサバンナを訪れました。

現地では絶滅危惧種に指定されているロスチャイルドキリンの生活環境を整備するプロジェクトに参加し、無事に野生のキリンの出産を成功させました。

それでも現地での生活は決して楽なものではなく、苦しいことだらけでした。まず最初に、それまで日本を出たことがなかった僕にとってケニアのサバンナでの暮らしは刺激が強すぎました。

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トイレの蛇口をひねったらこんな感じのカフェオレ出てきてましたからねマジで。。。

ちなみにこの写真は2分間くらい出しっぱなしにしてから撮ってるのでひねりたてだからこの色ってわけではないです。本気で自分の小便のほうがまだキレイなんじゃないかと思うほどでした…笑

(※もちろんナイロビなどの都市部ではちゃんときれいな水が出ますよ!)

 

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更に、そこで活動しているメンバーは現地のレンジャーと欧米から来た人たちを合わせて20人程度。当然共通言語は英語になりますが、英語なんてこれっぽっちも喋れない僕はコミュニケーションをとるのも一苦労でした。。毎日毎日予想のできないめちゃくちゃおもしろいことが起きているのにそれを周囲の人に伝えられないもどかしさ。みんなの会話を止めてしまうことへの申し訳なさもありました。

「Why did you come to Kenya?」

「ビ、ビコーズ・・・アイライクアニマル!」

「Ah… okay me too!」

みたいな。。。

 

いや、ちゃうやん!

 

はるばる一人でケニアまで来たんやぞ?

 

もっといろんな熱い思いや考えがあったんちゃうんか!

何をそんなしょーもない一言で回答しとんなら!!

心の底から湧き上がる感情があるに決まってんだろ!

 

…と。

 

伝えたい事は山ほどあるのにそれを言葉にできないことへの悔しさ、ストレスがものすごかったのを覚えています。

ただそんな苦しい環境の中でも、自分が求めていた野生動物の姿を毎日見ることができる環境というのは何物にも代えがたい感動がありました。自分の気の済むまでサバンナを歩き回り、岩場で好きな時に好きなだけ腰を下ろす。一生ここにいたいと思えるほどの満足感でいっぱいでした。

そんな生活を行っているある日、プロジェクトの一環として近所の農家に植林作業へ。そこの家庭にはお父さんとお母さんが1人に14人の子供たち。彼らは5〜7歳から家のニワトリとヤギの世話を任され働き始めるんだとか。彼らが着ている服を見てみるとあちこちに穴が空いているほどボロボロで汚れていました。服が破れているその先には傷だらけの皮膚。聞くと、傷から感染症になり命を落としてしまう子供もいると。。

 

”自分は何しにここに来たんだろうか?”

 

その瞬間、何もできない自分に対する無力感に襲われました。

 

さらに、近くでは綿花を栽培している農家もありました。見渡す限り綿花畑という感じの広大な敷地。

「この綿花はどこで何になるの?」と拙い英語で尋ねてみると、

「BIG COMPANYに売って終わり。後のことなんか何も知らないよ」と。

原料の生産者がその商流や完成品を知らないことがあるというのはそれ以前にも聞いたことがありましたが、そこで初めてその光景を実際に自分の目で見ることになりました。

目の前の人たちはクタクタの服を着てその服の原料である綿花を栽培している。この矛盾はどうやって生まれるのか?一体どこの誰がこんなにたくさんの綿花を必要としているのか?

など、いろいろなことを考えさせられました。

しかしどれだけ考えてみても自分に何ができるのかわからないことへのもどかしさと怒り。正解のない問いへの永遠の押し問答。

最終的に、何をするにも自分の実力が足りなさすぎる。もっと能力を高めてチャレンジしたい!そう考えるようになりました。

 

僕に勇気と好奇心を与えてくれた場所。

夢を失って失望していた僕に一筋の光を与えてくれた場所。

近い将来、アフリカの為に何かしたいという新しい夢ができました。

しかし、アフリカのために何かするという夢ができた一方で、まだ何も具体的なアイデアは思いつかないまま日本へ帰国することに。。。

 

大好きなデニムとその魅力

日本に帰国してから僕は急激にジーンズの虜となりました。

ジーンズについての詳細は別記事にて書いていきますが、何といってもジーンズの魅力は、その持ち主の生活感、大きく言えば人生がもろに映し出される事にあります。言い換えれば、持ち主の人生がダメージとなって生地上に映し出されることだと言えます。

たとえ同じ新品のジーンズを買っても、半年後・1年後・2年後には全く別のものになっているはずです。それは”世界に一つしかない、自分自身が創りあげたジーンズ”になることを意味します。僕はジーンズの色落ちを楽しむことは、すなわち人生の一部を形として残すことだと考えています。

例えば、私が1年間のロンドン留学中に履いていたジーンズが以下。

 

お尻の部分は毎日乗っていた地下鉄の腰掛けで擦れてボロボロ。
ヨーロッパ周遊時に歩き回った事で股の下は破けています。
お土産で買ったジッポを入れていたポケットにはくっきりと型が残っています。
その人のその時の生活スタイルや体型、すべての要素が揃って初めてこのダメージが生まれるわけです。デニム好きの多くはそこにロマンを感じているといえるでしょう。

そうした点から、ジーンズは新品よりも中古品の方がより価値を持つ可能性を秘めた、数少ないアイテムの1つと言えると思います。

 

デニムブランド”GHION”設立

プロジェクトを行うにあたって、かねてより日本らしい名前と現地感を合わせた名前をつけたいと考えていましたが中々いいのが思いつかず…

そんな中エチオピアに渡航し、我々が訪れたウォリソという町は別名”Ghion”と呼ばれているんだとか。発音は”ギオン”

実は僕、ジョセフという名前で活動していますが本名は祇園という苗字なんです。会う度に京都出身?とか聞かれて毎度期待を裏切ってしまうのですが。。どうやら京都ではなく岡山県にちらほらと見られる苗字なんだとか。

とにかくそんな感じで自分の家族以外の祇園さんにまだ会ったことないくらい珍しい苗字なわけ。それがまさかまさか、遠くエチオピアに自分の苗字と同じ土地があり、そこでプロジェクトを行うことになるなんて!

これもう奇跡とか運命と呼ぶ以外にないんじゃないかと!!!!!

日本らしさのあるギオンという名前。自分の苗字。そして現地の人々の町の名前。このすべてを兼ね備えたギオンデニムがここに誕生!!スペルはGionではなく、より現地の人々に親しみを持ってもらうためにGhionを採用。

Ghion Denimがエチオピアと日本の人々の何らかのきっかけになる。そんな存在になれるように力を尽くしたいと思っています!

 

プロジェクトにかける想い

このプロジェクトで達成したい事は以下3点

①アフリカの人々との繋がりを作る事

②先進国(新品)→途上国(中古品)の常識を壊す事

③世界最高にかっこいいダメージジーンズを作る事

 

これらすべてを実現することがこのプロジェクトを行うにあたっての我々の夢であり使命だと考えています。

 

①アフリカの人々との繋がりを作る

僕が大学初めてケニアに渡航することを決めた時、家族や友達から「アフリカなんかやめとけ、危ないぞ、死にたいのか?」と言われました。ワクワク感ばかりが高まっていた僕でしたが、アフリカに行くことに少しずつ恐怖を感じるようになっていきました。

しかし、実際に行ってみると人は優しくてアットホーム。

飲み屋で財布を忘れて帰ろうとしたときには声をかけて教えてくれたし、街中でリュックが開いていると忠告してくれました。もちろん、そこにいる人によるのは間違いないのですが、とても魅力的で素敵な土地だと感じました。

こんな魅力的な地域に、先入観だけで訪れないというのは絶対もったいない!!

日本から考えるとヨーロッパとアフリカって物理的にはほとんど同じ距離にあります。アクセスだって全然悪くない。それなのにアフリカに行くハードルは極めて高い。物理的距離以上に心理的距離の遠い土地だと感じました。情報が身近でなく、よくわからない場所だからイメージだけで語ってしまう。そのイメージによって訪れるのが難しくなってしまっている現状を変えたい。僕たちのジーンズを通して、アフリカをもっと身近に。リアルな生活感を知ってもらいたい。

「アフリカに対して無関心」ではなく、ニュースを聞いた時に少しでも耳に止まるように。1万キロ離れた場所に住む人々との“繋がり“を感じてもらえるようなプロジェクトにしたいと考えています。

②先進国(新品)→途上国(中古品)の常識を壊す事

アフリカに大量に流入してくるぼろぼろで、くたくたになった古着。ファストファッションが流行する今、先進国で捨てられる服の数は400万トンを優に超します。それらの多くは、アフリカの集積場に集められ、値段を付けられ、販売されています。もちろんこれらは「売れるから」行われている営みです。

そしてアフリカのマルカート(市場)には溢れんばかりの古着、古着、古着…。

一方僕らが現地で聞いた声は異なっていました。

「もう古着なんて嫌だ。僕たちも濃紺のジーンズが欲しい」

とはいえ、もちろん彼らは新品の服を買うほど裕福ではありません。先進国の人々が着たいものを着て、お古が途上国に運ばれる。その制限の中でアフリカの人々は自分を表現する服を選択する。それもたまたま、生まれたところが先進国だから、もしくは途上国だからという理由で。

僕たちはこんな流れをぶち壊したい。

スタイル抜群なうえにイカしたセンス。最高にかっこいい彼らが本物のジーンズを履いたらどうなるのか。彼らがどんな着こなしをしてどんな色落ちをさせるのか。もう想像しただけでワクワクしてきますよね。

 

③世界最高にかっこいいダメージジーンズを作る事

僕たちが生まれた岡山県はジーンズの聖地と呼ばれる世界有数のジーンズ生産地域の一角です。実は僕達が知っている高級ブランドの多くが、岡山を始めとした備中備後の工場に制作を依頼しているんです。

そこで生産されるのは間違いなく世界最高品質のジーンズだと言えます。
おそらく世界一ジーンズにこだわりが強いであろうジーンズ屋の店主はこう言っていました。

「ジーンズは、履くことによって完成する」

と。

インディゴに染められた固く丈夫なデニム生地。そのキャンバス上には着用者の生活や人生がダメージとなって映し出されます。濃紺のデニム生地に刻まれる一つ一つの傷や色落ち、破れやほつれまで、全て着用した人それぞれ唯一のものです。ジーンズはその人の生活をそのまま映す鏡。

そんなダメージに優劣をつけることはもちろんできませんが、くっきりとした発色や
その状態を良くすることができる環境には条件があります。
紫外線、ほこり、摩擦、そして着用者の汗。

これらの条件を完璧にクリアする地域、それこそがアフリカです。
赤道に近いため紫外線が強く、乾燥した土ぼこりにまみれた環境、そして近所の人々
との交流を大切にする文化や、農作業等の力仕事によって動き回ることによる摩擦と汗。

加えてエチオピアが位置する東アフリカ地域は、アフリカ大地溝帯の影響で標高が1600mを超えます。そのため、赤道に近いながらも1年中常春の気温となり、年中通してデニムををストレス無く着用することができます。
東アフリカ地域は、ジーンズを育てる事において世界最強の地域なんです!

さらに、このキャンバスに刻む人生には長いストーリーがあります。
ジーンズの原料となる綿花。実はアフリカはインドやアメリカ、中国に量では及ばないまでも、非常に良質な綿花を栽培し輸出しています。アフリカで栽培された高品質な綿花は、世界一の縫製技術を持つ岡山でジーンズに姿を変えて再びアフリカに戻り、現地の人々の生活を刻みます。
僕たちが作るのは技術、環境、ストーリーの全てにおいて世界一かっこいい最強のジーンズです!!

 

この世界最強のダメージジーンズで世界をつなぎ合わせていきまっせ!!!

面白くなっていく予感。乞うご期待!

ぎおん@アフリカジーニスト

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19953月産まれ。岡山県岡山市出身。

小学校〜高校まで野球一筋で育つ。

大学受験の失敗を機に野球を引退。

関西圏の私立大学に進学。

大学1年生でうつ症状と不眠症になり人生のどん底へ。

その後ふと見た野生のカバの動画に心を撃たれ、アフリカへの渡航を決意。

ケニアでの2か月間の野生動物保護プロジェクトでキリンの出産を成功させる。

1年間のイギリス留学を経てアフリカで働けるであろう総合商社に入社。

会社の事業ですぐにはアフリカに行くことができないという現実を知り、

アフリカジーンズプロジェクトを立ち上げる。

入社10ヶ月で退職。現在は篠原テキスタイル様にてデニム武者修行中。

 

 

小学生時代

小学生時代の僕はいわゆるガキ大将系のスポーツ少年。自分の気に入らない事にはYesと言わず、俺がルールみたいな。周りの人からしたら本当迷惑な奴だったことでしょう。

スパルタ親父のおかげで毎日朝530分から朝練、19時〜22時までは夜練。よくいう毎日素振り100回みたいな生ぬるいものではなく、手を血だらけにしながら毎晩最低600球は軍手ボールを打ち込んでました。そのあとにランニング7キロなどなど…

と、普通の小学生がしないような練習メニューをこなしていました。小学校において運動ができるというのは何よりのステータス。さぞかしいい気になっていたんだと思います。。

家ではちびりながら練習をして、学校では偉そうに威張っているという…そしていたずらをしては人を困らせ、毎日先生から呼び出されていた記憶があります。本当にどうしようもない子だったと思います。

それでも野球に関しては一生懸命で、岡山県で優勝するようなチームでキャプテンをしていました。当時、岡山で行われた選抜大会ではクリーンアップを打たせてもらったこともあり、自分はきっと将来プロ野球選手になるんだろうと信じてやみませんでした。

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小学6年生時の岡山県大会

 

 

サボり倒した中学時代

そんな僕は中学校に入ってからも野球部に入りました。うちの学校では、上手な子や本気でやりたい子は地元のクラブチームで硬式野球を始めるのですが、僕の場合は勉強もしたかったのでおとなしく学校の弱小野球部へ入部。

今まで死ぬほど練習してきた甲斐があり、入部と同時にベンチ入り。すぐに試合に出してもらえるようになりました。

 

でもこれがよくなかった。

 

1年生で唯一3年生と混ざってプレーができる。練習をしなくてもレギュラーを取られないだろうと完全に自分を勘違いしました。そこからというもの、野球の練習なんてロクにやらず毎日毎日遊びまわる日々。部活に出てはサッカー部にちょっかいを出してみたり、陸上部と談笑したりという具合に。

そして中学3年生になる頃、岡山県の選抜セレクションが行われました。各中学校から数名が参加し、段々と人数を絞られていくというシステムです。セレクションを受ける前、僕は正直楽勝で選ばれるだろうと思っていましたが、結果は2次選考であえなく落選。

それもそのはず、一緒にプレーした周りの選手とは自分でもわかるくらいに差がありました。

 

とてもショックでした。

 

 

しかし一番ショックだったのは自分が代表に落選したことよりも、岡山選抜に選ばれた選手の中に3人も、小学校時代に同じチームでプレーした仲間がいたという事実でした。昔自分が彼らの中でキャプテンを務めていたことが信じられないほどに彼らとの実力差があったんです。

この3年間で追いつかれるどころか、はるか遠くまで置いていかれることになるなんて…。今までに味わったことのないレベルの悔しさに涙を流しました。。。高校に行ったら絶対に追いついてやる!と、その日から110kmのランニングを開始。

その後、彼らは県内の強豪私立。僕は公立の進学校へ進むことになります。

 

鬼軍曹と呼ばれた高校時代

中学時代に、サボることによって自分がどうなるかを身をもって知った僕は、高校に入るとただひたすらに、一心不乱に野球に打ち込みました。朝5時半に学校に行き、たった10分の休み時間も昼休みもバットを振りに行きました。

「上手になりたい。中学時代にサボった分を取り返したい。」

 

その一心で。

 

その結果、入学当初には自分の学年の中でもレギュラーになれないレベルまで実力が落ち込んでいた僕ですが、1つ上の先輩の代でもベンチ入りし、試合に出してもらえるようになりました。(先輩の夏の大会での結果は三振でしたが…)

先輩の引退後、自分の代では副キャプテンとしてチームを運営していく立場に。僕のいたチームは、監督ではなく選手が練習メニューを組み、自発的に活動することを目的としたスタイルでした。つまり、キャプテン副キャプテンがチーム全体の運営者となるわけです。

強豪私立高校には厳しいコーチや監督がいて、いつもとてつもないプレッシャーの中で戦い、レギュラーを勝ち取った者だけが試合に出られる。しかも朝から晩までひたすら練習に打ち込んでいる。

自分たちが彼らに勝つためにはそれ以上の厳しさと練習の質を確保しなければならないという焦りがありました。その結果僕が選んだのは“自分が鬼コーチと選手を兼務する”こと。自分にも他人にも厳しく、練習中に少しでも空気が緩むと怒声をあげてチーム全体を締める。一切の妥協を許さずチームの勝利が第一優先。Enjoy Baseball?ふざけんなといった感じ。

今考えると、なんとまあ短絡的な発想で他人の気持ちを考えない無茶苦茶なやり方だっただろうかと思いますが、当時は完全に本気でした。

そんな僕のわがままにも文句を言うどころか、一緒に夢中になってくれた大切な仲間。その結束力のおかげで僕たちはみるみる上手になり、強くなっていきました。周りの名だたる強豪校にも勝つことができるようになったりという具合に。入学時から不作と言われ続けた僕たちの学年ですが、段々と「おれらもいけるぞ!」と自信がついてきました。

公立の進学校ながら、僕たちは本気で岡山県大会に旋風を起こすことができると思っていました!全てを捨てて野球に取り組み、試合に勝つことだけを考えて取り組んできた3年間。甲子園だって夢じゃない!絶対みんなで勝ち取るんだと。

迎えた夏の大会当日、僕たちは自信に満ち溢れていました。あれだけの練習をしてきたんだから、これだけ強くなった俺たちなら絶対にやれると。

 

 

その結果は初戦敗退。

 

 

延長10回を戦い1-2で負け。

決して自分たちの力を驕って油断していたわけではありません。そもそも驕れるほどのチームではありませんでしたから。当然初めから自分たちのやれる全ての力を出して臨みました。今までの自分の全てを捧げてきた3年間はたった2時間で幕を閉じました。

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非常に貴重な丸坊主時代(左)

 

大学受験失敗→野球引退

ただひたすらに練習に取り組み、勝つためだけに努力し続けた僕の3年間は1回戦敗退というあっけない結果に終わりました。心を鬼にして、何が何でも勝つためだと周囲を巻き込んでやった結果が初戦敗退。

自分のやってきたこと全てが間違っていたんだと感じた瞬間でした。それは、厳しさの先にこそ成功があるんだという考え方を真正面から否定された出来事だったと言えると思います。

 

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部活動引退後は、今まで避けてきた勉強が待っていました。それまでの2年間でほとんど鉛筆を握ってこなかった僕は引退後の初めての模擬試験で350/900点という点数をたたき出しましたこれはひどい!!英語と数学に至っては50/200点くらいとそりゃあもうめちゃくちゃ。国立大学に入学する最低ラインは600/900点ほど。まったく足りません。どこの大学に出してもE判定(合格可能性5%以下)です。

学校の先生によると、3年生の4月からセンター試験本番(1)までに伸びるのはせいぜい100点だとか当時の僕が仮に100点伸ばしても450点なので到底行ける大学はありませんでした。

先生との面談では、

 

「あなたの行ける大学は無いから」とそりゃもうボロカスに言われました。

それに対してめちゃくちゃ腹が立ったジョセフ青少年、

 

「こっからくそ程勉強して岡大(岡山大学)受かっちゃるけえ見とけよ!」と野球部時代さながらに机をぶっ叩いて反論しました。(クソ生意気)

その日から毎日12時間を超える勉強。最重要科目は英語、数学。そして休憩時間には地理と生物といった具合に。周りの人たちとの点数の差を埋めるためには彼ら以上に追い込むしかないという超野球部的発想のもと勉強に励みました。

ただそのころ僕のモチベーションになっていたのは、目の前の点数だけではなく“学校の先生になりたい”という夢でした。学校の先生と言っても、その本心は当然野球です。野球部の顧問になって自分のチームを甲子園に連れていくんだ!と。自分がプレイヤーとしてできなかったことを成し遂げたかったんだと思います。

そのためにも大学では毎日深夜まで自主練習をして自分の能力を高めて…。文字通り野球漬けの毎日を想像し、ワクワクしていました。そのモチベーションのおかげで辛い受験勉強の中でもぐんぐん成績を伸ばし、来たるセンター試験本番ではなんと自己最高得点をマーク。

最初の点数からすると350点近く点数がアップ。これには学校の先生もびっくりしておりました。センター試験後のデータではついに岡山大学教育学部のA判定がでました!!

 

はいきた〜!勉強頑張ってよかった〜と。

 

あとは二次試験の体育を普通にやれば合格だろうと思っていました。

 

 

が、二次試験当日会場に集まったのは40人近い体育実技受験者。2人の合格枠を40人で争うことに。。。(どうやらこの年のセンター試験は平均点がダダ下がりだったようで、もっと上の大学を受ける予定だった賢い人たちも受験していてやたら多かったんだとか)先生にあれだけのタンカを切っておきながら倍率20倍の前にいとも簡単に敗れ去ってしまったジョセフ青年。

 

目の前が真っ暗になりました。

 

自分の中で浪人という選択肢はなかった(あの苦痛がもう1年なんてのは想像できなかった)ので、後期センター利用を使って受かった関西学院大学に入学することにしました。しかし、僕の進学した学部のキャンパスは山の上にあり、どこに行くにもとてつもなくアクセスの悪い土地でした。

ついに僕はそれまでの人生のほとんどを捧げてきた野球を辞めることを決意しました。

 

 

大学1年時にうつ病発症。

今までの人生の全てと言ってもいいほどの野球を辞めたことで、心にぽっかり穴が開いてしまった。何に対して興味を持てばいいのか、何に対して熱量を注いでいいかわからなくなったんですよね。

サークルの新歓にも行ってみたけどそこでは一気飲みしてはずっとはしゃぎまわっている先輩たちの姿…

「しょーもな。」と。

もっと熱くなれる何かじゃないと俺の心は震えない。とか思ってましたね。。とにかく蕁麻疹が出るほどにその雰囲気が嫌いだったのでサークルに入るのはやめにしました。全てに自暴自棄になった僕の周りに友達なんかできるわけもなく…

志望した大学に落選し、自分の夢を失い孤独になった僕は心と体を壊しました。不眠症に悩まされ深夜34時になっては近くの河川敷に行って猫とたわむれる生活。眠ろうとしたらいきなり「ドカーンっ」て爆発音がするんだから眠りにつくのが恐怖でしかなかった。

 

 

冗談抜きで辛かった。

 

 

当時は病院に行くことすらも考えられなかったけど今ならわかる完全にうつ病の症状でしたねあれは。

 

>古着屋に入り浸る。

そんな時の唯一の心の救いといえば神戸にあった古着屋に通うことでした。古着屋って世間一般の人の生活スタイルから抜け出したアウトローな人が多くて、どんな話も否定することなく聞いてくれたんですよね。元々好きだった古着がもっともっと好きになって、深夜4時から原付で4時間以上かけて京都の古着屋まで行ったこともありました。

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古着屋入り浸り時代の僕。(刈り上げ金髪ミリタリーアフロ男)

今思えば大学で友達ができないのも納得か。※丸坊主からの反動という説あり

 

カバとの出会い

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そんな人生のどん底みたいな感覚で生きていた僕に転機が訪れます。いつものように寝付けず何気なーく見ていたYouTube。おすすめ一覧にふら〜っと流れてきた「カバの猛威」みたいな動画をクリック(もう普通の精神状態じゃない)。

すると、そこにはライオン18頭に襲われながらもリーダー格のライオンの頭蓋骨をかみ砕いて悠々と立ち去っていくカバの姿が。今まで自分が思っていた草食動物と肉食動物の関係のイメージが全部覆された瞬間でした。

 

 

「かっけえぇぇぇ!これや!」

 

 

 

という思いと共にYouTubeにあるカバ関連の全動画を血眼になってあさりました。それこそ寝る間も惜しんで。次の日に王子動物園に行き実物を見に行ることに。

 

 

 

「でっけぇ〜〜〜かっけえぇ!」

 

 

 

もう完全にカバの虜になっていたんです。時間があればカバの生態について調べる毎日。国際政治学専攻にも関わらず、勝手に「カバの生態」というタイトルのレポートを提出。さすがに教授から怒られるかと思いきや、なんと特Aの評価を獲得。その後も週末に暇を見つけては動物園に行くようになりました。そんな感じで過ごしているとついには動物園では満足できなくなってきたんですよね…

昔、「ダーウィンが来た!」で見たようなもっと野性味あふれる彼ら本来の姿が見たいと。

 

そこで野生動物の王国、ケニアに行くことを決めました。

 

 

ケニアに渡航、初めて海外へ。

せっかく野生の動物たちを見に行くのに1週間そこらのサファリツアーに参加するのは嫌でした。サバンナで暮らし、動物たちと同じ世界で生きる。そんな環境を探して見つけたのがイギリスの会社が主催する2か月間の野生のキリン保護プロジェクト。英語が大の苦手だった僕は全く喋れないまま単身アフリカへ。イギリスの会社主催のプロジェクトの為、現地についても日本人はゼロ。というかアジア人は僕だけ。15人中12人がヨーロッパから来た20代の金髪美女たち。。そりゃもうとんでもないカルチャーショックでした。

正直、早く帰りたい思いしかなくて毎日カレンダーを眺めていました。それでもそこで見た動物たちの本来の姿は僕に何とも言えない感動をくれました。

彼らの顔や体中にある無数の傷。どこまでも続く大草原を縦横無尽に駆け巡る動物たちの姿。弱肉強食のサバンナの世界を初めて目の当たりにし、心を震わせました。

サバンナでの暮らしは、日の出と共に起き、日の入りと共に寝るという野性味あふれた生活。インパラが毎朝家の窓をつついて起こしに来てくれるという僕にとってはほんとうに夢のような時間でした。人間本来の生活ってどんなものだろう?と考え始めた最初のきっかけといえるかもしれません。

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マサイマラ国立公園にて撮影

 

ジーンズに魅了される

ケニアのサバンナでの暮らしの為に、当時行きつけだった古着屋でワークウェアを購入。日本に帰国してからもずっと着用するようになりました。大のワークウェア好きとなった人間にジーンズは避けては通れないファッションでした。

店員さんからジーンズの歴史やその当時の人々の暮らしを聞くにつれていろいろな想像がふくらみ、服をただの服として捉えるのではなく、そのバックグラウンドを考えて選ぶようになったのがこの時期です。

 

 

各国を一人旅

異国の地ケニアでの経験を受けて、異なる文化圏に身を置くことの楽しさを知った僕は

海外の国にどんどん興味を持つようになりました。2か国目に選んだのはドイツ。特にもともと興味があったわけでもなかったのですが、ケニアで仲良くなったドイツ人のジェニーちゃんが住んでいるからという理由で行くことに。彼女は、ケニアでも英語が喋れない僕にいつも気を遣って話しかけてくれました。僕のおっそい英語にも文句ひとつ言わずに頷きながら聞いてくれたんですよね。そんな彼女にきちんと御礼を言いたくて、ドイツのハノーファーまで会いに行くことにしたという訳。

現地の人の家に泊まり、現地の人に案内してもらう観光はとてつもなく刺激的でカルチャーショックの連続でした。御礼を言いに行ったはずがまた完全にお世話になってしまったのですが。。

 

ただその時、今までの自分の考え方や生活範囲が「わっ」と広がったような感覚になったのを覚えています。

 

そこからは早かった。バイト代を貯めては海外に出かけていくという生活スタイルに変わっていきました。とにかく新しいものを見たい、知りたい、感じたいという思いが日に日に強くなっていったんです。

 

その後、現地のローカルにできるだけ多く触れるということを目的に30カ国ほど周遊。

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スウェーデンの教会にて

 

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マイエンフェルト(スイス)にあるハイジのお家にお邪魔。

@おじいさんの洋服棚

 

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一応スペインで行われるトマト祭りにも参加してみました。

 

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マサイ族の村にステイした時の写真

 

とまあいろいろと旅をしてきたんですが、大学生活ももう直ぐ終わり。旅の中で培ったタフさ以外、何も身についていない現状に不安を感じていました。。。

 

イギリスに留学

このままいくと普通に就職活動をして次の年には働くことになる。たくさん海外を旅してきて、この頃には将来的に海外(特にアフリカ)で働きたいと思い始めていました。

一方で、日常会話程度レベルの英語力でビジネスができるとは思っていませんでした。ケニアでは危険な目にあった時に友達が助けてくれたけど、自分でビジネスをする際には自分の身は自分で守らなければならない。その為には更なる英語力の強化と異文化での生活体験が必要だと考えました。

そこで、イギリスに留学する事を決めました。(イギリスを選んだのはただかっこいいからですが…)

ロンドンのグリニッチで10カ月程生活しました。この時ヨーロッパを周り、ケニアで出会った友人達に再会する事もできました。ほとんどお遊びとも言える留学生活でしたが、心技体全てにおいて自分をスキルアップさせる事が出来たと思っています!

 

留学について詳しくはまた記事にします!

 

アフリカで働くべく総合商社へ

 

総合商社イメージ

イギリスから帰国してすぐに、日本での就職活動を始めました。僕の中で揺るがなかったのは、途上国でビジネスができる会社であること。途上国の人々の生活に大きなインパクトを与えるためには、資金も潤沢な大きなビジネスで広いネットワークをもった会社に勤める必要があると考えました。

そんな考えの中で興味を持ったのが総合商社業界。海外に駐在して現場に行ってでっかいプラント建てて現地の人々の生活を豊かにして。泥臭い中にも確固たる信念があるからこそ頑張れる。そんな商社マンの姿をイメージして選考を受けました。

 

面接ではひたすら「カバ」の話と「アフリカに行きたいんです!」という話だけをした結果、運よく内定をもらうことができました。その時の僕は「これで世界を相手に仕事ができる!」という期待に胸が膨らんでいました。

 

就活中の違和感

内定が決まったのはよかったんですが、僕が就職活動の時に感じていた違和感は尋常じゃありませんでした。そもそも365日ジーンズを着て過ごしている人間が毎日スーツを着て就活させられる辛さ。

ジーンズの良さは自分の人生をダメージとして残し、世界でたったひとつの自分だけパンツにする事ができるところにあると思っています。

それに対してリクルートスーツというのは、みんな同じ黒スーツ。まるで自分自身が”大量生産されている1つのモノ”であるかの様な感覚に陥りました。

僕はもちろんスーツも大好きです。ただどうしてもこの無理やりに制限されてしまったリクルートスーツ文化には馴染めませんでした。

ある会社の200人規模の社員座談会。

“説明会当日は私服でお越し下さい”

 

当然行きましたよね。毎日のデニムオンデニムオンデニム×ブーツ。

会場に行ってみると…

当然の如く全員スーツ。

真ん中にインディゴダルマが1人。

いや、違う違う。”私服可”とかならまだスーツで行ったかもしれん。”私服で来い”て書いてあるのにスーツで行くのはおかしくない?

そんな座談会で前の席に目をやると、思ってもないくせに首がもげるくらい頷いてるアホ。

 

社員に気に入られようと誰も興味ないようなクソ質問をして満足げな奴。

 

あげればきりがありませんが、そういった光景を見るたびにHPを削られていきました。何より自分も同じスーツを着てその場にいるという現実。商社で働きたいからといってこんなことに耐えなければならないのか?と毎日考えていました。

 

この違和感は内定してから日増しに強くなっていきました。内定者の顔合わせと称した懇親会では、会社のお偉いさんみたいなおじさんが出てきて我先にとグラスを合わせに行き、お酒を注ごうとする内定者たち。

それに対して、

 

「今のうちにしっかり遊んどけよ!働き出したら辛いことばっかりやで!」

 

的な非常にありがたいアドバイスをするおじさん。実際に働き始めると、就職活動時にあれほどグローバルカンパニーだと豪語していた会社の中身は超ドメスティック。ここは自分の居場所にはなり得ない。と感じました。こうなれば会社に頼らず自分で事業を起こすしかないと考えた僕は、好きなことで何かできないかと”大好きなジーンズと大好きなアフリカを掛け合わせたプロジェクト”を企画することにしました。

入社式を3ヶ月前に控えた12月末のことでした。残りの期間でプロジェクトの大枠を作り、会社員を少しだけ続けながら進めていこうと考えスタートしました。

 

プロジェクト立ち上げ

入社してからも、アフリカで働くことのできる部署への希望は通らず、国内の自動車関係の部署に配属。もうこの頃にはすでに期待していなかったので何とも思いませんでしたが。

予想以上に海外との接点が少ない事に拍子抜けしました。

 

アフリカなんて夢のまた夢。けどそれを夢で終わらせるか叶えるかは自分次第。

 

もう会社や外部の環境に頼るのは終わり!

 

ここから夢に向かって全力で活動します!!

 

アフリカジーンズプロジェクトでは、国内で生産された最高級ジーンズをアフリカの農村・学校で履いてもらい、世界最高の色落ちをしたダメージジーンズを製作します。そして、そのジーンズを履いていた人とダメージジーンズの購入者が直接やりとりができるシステムを構築します。ジーンズを通してアフリカに友達を作り、お互いの国に対して興味をもつ。最終的にはお互いがお互いの国を行き来するような関係を作り上げたいと思っています。

 

この夢を実現させるべく、とにかく前進あるのみです!!

 

現在エチオピアにて岡山デニムの色落ちトライアル実施中。写真はエチオピアの農村で僕たちの持参したデニムを履いてもらっているトレサ氏。めちゃめちゃカッコよく着こなしてくれました!何より新しいジーンズが履けることを心から喜んでくれたのが何よりもうれしかったです!!

 

 

こうやって見ると、僕の人生はほとんど思うようにいってないことがわかります。自分の蒔いた種に痛い目を見て、それを克服するために夢中になってと。。これからもそんな人生なのかもしれないですが、それならとことん失敗してとことんチャレンジしてやろうと思います!

 

さあ、人生おもろくなってきたぞ!!!